寄稿しました:流行する「GHQによる洗脳」論の危うさ

……愛国心」「皇軍」「大東亜共栄圏」「八紘一宇」に抵抗を感じたらGHQの洗脳の影響下にあることになるらしい。けれども、このツイートにはそれぞれ数百人単位のリツイートと「いいね」がつけられ、この発言に疑問を呈した人には信者が「WGIPがわかっていない! あなたはまだ洗脳されている!」とギロンをふっかけているのである。 

 

webronza.asahi.com

『世界』2018年10月号に寄稿しました

www.iwanami.co.jp

『世界』2018年10月号に、「「私たち日本人」はトキが自由に飛び回る日の夢を見るか」を寄稿しました。日本教科書の中学生むけ「道徳」教科書3学年分をネチネチ読んでのレポートです。

一読して何よりも驚くのは、「道徳」の教科書に安倍晋三首相の真珠湾での演説(2016年12月27日)が登場していることで(中1)、まさに〈安倍晋三記念「道徳」教科書〉といった趣である。しかも右派系 修養・道徳団体として知られるモラロジー研究所の出版物からの引用・転載が2本、右派系文化人寄り集まって編纂した『はじめての道徳教科書』(育鵬社、二〇一三年)からの引用が1本――入っていたり、突然「〈もつと知りたい〉武士道」(中2)などのコラムが登場するなど、その政治的イデオロギー性の頭も尻も隠していない異様な展開でいろいろと驚いた。

 で、twitterでも書いたこの下りの顛末も盛り込んでいます。

「真希はそう言いながら、ベッドのそばまで来て俺の顔を覗き込んだ。柔らかな髪が揺れて一瞬シャンプーの香りがとつぜん立った。突然のことで俺はどぎまぎして答えた」。

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当該ページの挿絵がこちらになります(日本教科書『生き方から学ぶ』(中学1年用)より)

倉橋耕平さんの『歴史修正主義とサブカルチャー』書評をWEB世界に寄稿しました

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 「新しい歴史教科書をつくる会」が設立記者会見を行った1996年12月から22年が経とうとしている。2018年現在の大学生のほとんどは、生まれたときから「自虐史観」非難の中で育ったことになる。

 この20年で歴史修正主義的言説が言論の市場に占める割合は拡大し、書店では民族的差別主義と一体となった歴史修正主義本が跋扈した。その種の言説のビリーバー/ユーザーもまた増大している。そもそも歴史修正主義に非常に親和的な政治エリートが政権に居座っている中で、大規模な公文書の改竄が行われていたことも明らかになり、すでにごく近い過去さえも政治的利害によって「修正」されてしまうほど社会は劣化した。

新刊レビュー/倉橋耕平『歴史修正主義とサブカルチャー』 評=早川タダノリ | WEB世界

 

トークイベントに出演します(2018年10月4日@東京)

【以下引用】

10/4(木) 19:00~
平和の棚の会10周年企画 
斎藤美奈子さん×早川タダノリさんトークイベント
「積極的平和と出版メディア~平和のために出版はなにができるのか~」

今年結成から10年を迎えた『平和の棚の会』が選書の基準にしている「積極的平和」。
その概念は単に「戦争がない」という状態だけを「平和」とするのではなく「衣食住・人権・福祉・ジェンダーなどで差別されず、命がおびやかされない状態」を指します。
今から81年前の1937年に始まった日中戦争は太平洋戦争へと発展してゆきました。
世の中が戦争へと突き進むなかで、庶民はどのように戦争に向き合ったのか。
また、円本ブームなどを経て庶民への情報提供者となっていた出版社はどのように戦争にかかわったのか。現代となにが相似し、なにが違うのか。「積極的平和」を一つの軸にして考えます。
トークは『戦下のレシピ』(岩波現代文庫)で、戦争前夜から敗戦直後までの婦人雑誌の料理レシピから時代に迫った文芸評論家の斎藤美奈子さん。
戦前の「家」制度の実像と、「日本の伝統的家族」モデルのイデオロギー性を 探る『まぼろしの「日本的家族」』(青弓社)編著者の早川タダノリさんです。

 

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開催日時:2018年10月4日(木) 19時00分~(開場18時30分)
開催場所:東京堂書店 神田神保町店6階 東京堂ホール
参加費: 800円(要予約)
参加ご希望の方は店頭または電話にて、『斎藤さん×早川さんトークイベント参加希望』とお申し出いただき、名前・電話番号・参加人数をお知らせいただくか、上記「お申し込みはこちら」から専用予約フォームにご入力の上、送信してください。イベント当日と前日は、電話にてお問い合わせください。  
ご予約受付電話番号:03-3291-5181

【お申込みはこちらから】

10/4(木) 19:00~平和の棚の会10周年企画 斎藤美奈子さん×早川タダノリさんトークイベント「積極的平和と出版メディア~平和のために出版はなにができるのか~」 | 東京堂書店 最新情報

藤原正彦『日本人の誇り』の細かい日本スゴイ・テクニック

 原稿を書くために藤原正彦『日本人の誇り』(PHP新書、2011年)を読んでいて、こんな一節に出くわした。
 著者がお茶の水女子大学で教鞭をとっていた時、一年生対象の読書ゼミをうけもったという。そこで「日本はどういう国と思いますか」という質問したところ、ネガティブな答えしかかえってこなかった。
藤原センセイは「日本中のほとんどの若者が自国の歴史を否定しています。その結果、祖国への誇りを持てないでいます。意欲や志の源泉を枯らしているのです」とまとめた上で、さらにつぎのように質問したという。

「それでは尋ねますが、西暦五○○年から一五○○年までの十世紀間に、日本一国で生まれた文学作品がその間に全ヨーロッパで生まれた文学作品を、質および量で圧倒しているように私には思えますがいかがですか」
これで学生達は沈黙します。私はたたみかけます。
「それでは、その十世紀間に生まれた英文学、フランス文学、ロシア文学、をひっくるめて三つでいいから挙げて下さい」
彼女達は沈黙したままです。私自身、「ベーオウルフ」と「カンタベリー物語」くらいしか頭に思い浮かびません。
私は彼女達にさらに問いかけます。
「この間に日本は、万葉集古今和歌集新古今和歌集源氏物語平家物語方丈記徒然草太平記……と際限なく文学を生み続けましたね。しかも万葉集などは一部エリー卜のものではなく、防人など庶民の歌も多く含まれています。それほど恥ずかしい国の恥ずかしい国民が、よくぞ、それほど香り高い文学作品を大量に生んだものですね」


これ、ツッコミどころ多数すぎて……。ヨーロッパ文学の専門家の方のご意見を待ちたいところですが、門外漢であっても、

・「西暦五○○年から一五○○年」という限定はなぜなんですかね?
・「全ヨーロッパで生まれた文学作品」にしてしまってアジアをはじめその他の地域を外しているのはなんでだろ?
・「全ヨーロッパ」と言いつつ、「英文学、フランス文学、ロシア文学」にしぼり、イタリア・スペインそのほかを外しているのはなんでだろ?
ラテン語のものはどこにカウントされるんでしょうか?
・「頭に思い浮かびません」……日本の古典は初等中等教育で教えられるから「知っている」。けれども日本以外の地域の中世文学はどこまで習うのかという「教育の枠組み」は勘案されていますか?

などの疑問が浮かんでくるんですよね。
 なんか細かいテクニックを使ってて、ちょっとびっくりしたんですよ、コレ……

(そもそも「源氏物語平家物語」という並びにすごい違和感があるんですが)

メモ:三浦瑠麗氏の「大日本帝国が本当の意味で変調を来した二年間」のナゾ


■炎上した三浦氏のコメント
 2017年8月12日、東京新聞で特集記事「気分はもう戦前? 今の日本の空気」が掲載された。この記事は「今の社会に、戦前のかおりがしないか」という問いかけで構成されたもので、ここに国際政治学者・三浦瑠麗氏が登場していた。「全否定は過去見誤る」と題されたコメント記事で、三浦氏は「「戦前回帰」を心配する方々が思い描く「戦前」のイメージに不安を覚えます」と嘆いてみせた。
 彼女によると「大日本帝国が本当の意味で変調を来し、人権を極端に抑圧した総動員体制だったのは、一九四三(昭和十八)〜四五年のせいぜい二年間ほどでした。それ以前は、経済的に比較的恵まれ、今よりも世界的な広い視野を持った人を生み出せる、ある種の豊かな国家だった」のだそうだ。
 すぐにわかることだが、敗戦前までの「人権抑圧」は、何も1943年にはじまったわけではない。1925年の治安維持法の制定以降の共産党員や労働運動に対する苛烈な弾圧は何だったのか。さらに1938年の「国家総動員法」制定以降の体制は何だったのか――いったいこの人は歴史の何を見ているのだろうかと、少なからぬ人が呆れ返ったようだ。すでにこの箇所については、多くの批判が寄せられているので、ここでは繰り返さない。
 ここで生暖かく考察すべきなのは、彼女が前提としている〈基準〉のアヤシサなのである。


■「大日本帝国」像の不可解さ
 「大日本帝国が本当の意味で変調を来し」という表現は、「変調」をきたしていない〈あるべき大日本帝国〉像を歴史に投影し、ラスト2年間をそこからの逸脱として切断してみせるしぐさだ。まずこの表現からして、思い込み主導のひとりよがりな香りが濃厚にたちこめている。おまけに「経済的に比較的恵まれ」ていたのは誰か・どの階級なのかを曖昧にしたまま、帝国主義植民地主義グローバリズムを「世界的な広い視野」などと言い換えてみせるのだから、三浦氏の特殊技能にはまことに感心するばかりだ。
 では、ここまで肯定的に評価されている彼女の脳内にある「大日本帝国」イメージは、歴史的にはどの段階を想定しているのか。三浦氏は東京新聞のコメントについて、自身のtwitterアカウントでいくつか補足している。その中に、次のような一文があった。
改憲の議論を見ても、国家観、歴史観を持ち、理念を掲げられる日本人が育たなくなっていることが分かる。残念なことです。台湾の李登輝・元総統を見てください。困難な状況下で骨太の政治理念を養い、民主化を主導した名指導者ですが、彼を育てたのは戦間期第一次世界大戦と第二次大戦の間)の日本であり、戦後の日本ではないのです」。
 李登輝元総統は1923(大正12)年生まれ。三浦氏にとって彼は「大日本帝国」が生み出した「今よりも世界的な広い視野を持った人」のようだ。ここから、三浦氏がイメージしているのは、どうやら1920年代から1930年代にかけての大日本帝国の姿であったことがわかる。


帝国主義が「躍動的に成長した時代」
 この時期の日本経済は、重化学工業生産のいちじるしい拡大、生産および資本の集中、銀行の集中と巨大化、そしてそれを可能とした植民地(台湾・朝鮮)・満洲・南洋への活発な商品=資本輸出が特徴だ。第一次世界大戦以後のアジアにおける列強の力関係の変化を活用して、国内的にも国外的にも(後発であるとはいえ)帝国主義国として一定の確立を達成した時期であった。この資本主義の高度化と同時に、労働運動の激烈化も同時に進行したのである。
 こうした日本帝国主義確立期のビヘイビアについて、三浦氏は以前、小川榮太郎との対談で次のように述べていた。
「日本の歴史を振り返ると、躍動的に成長した時代がいくつかあります。満州の獲得もそうだし、戦後の高度経済成長もそうでした」「戦前の日本にとっての満州、戦後のアメリカ市場はフロンティアでした。外部条件としてのフロンティアの存在が、日本に活力と成長をもたらすのではないかと考えます」(「近代日本の戦争とフロンティア」『文藝春秋SPECIAL』2016年冬号)
 「フロンティア」ということで満洲と戦後のアメリカを並べて見せているあたり、商品輸出市場としてしか植民地の意義を理解しておらず、収奪と利潤獲得のしくみが違うことも眼中にはないようだ。こうした帝国主義的な対外発展を「躍動的な成長」と表現できる三浦氏の感覚は、モロにイムペリアリストですねえ。


■「総動員体制」理解のなかみ
 これまで見てきたようなきわめて肯定的な「大日本帝国」像をもとに、三浦氏は「大東亜戦争」末期を「変調」として指弾してみせるのだが、彼女が「人権を極端に抑圧した総動員体制だったのは、一九四三(昭和十八)〜四五年のせいぜい二年間」(って、それは3年間ではないのか?)と区切ってみせる基準が実はたいへん不可解なのだ。
 三浦氏は自身のtwitterアカウントで、この部分についてつぎのように補足を加えた。
「新聞で一括りにされる戦前・戦中には様々な時期がありました。語られ易いのは総動員で大学生らが出陣した最後の2年。その2年を元に政府と国民の関係があたかもずっとそうだったように措定してしまうのが誤りなのです」。……この補足があったとしても理解は困難なのだが、どうやら三浦氏の言う「総動員体制」とは、学徒出陣のような根こそぎ動員をメルクマールとするもののようだ。
 彼女の博士論文をまとめた『シビリアンの戦争』(岩波書店、2012年)には、〈政府・国民・軍〉という三つのアクターに関する図解が出てくる。

 ここでは〈国民〉の戦争における役割として「戦闘要員の提供 支持・不支持」が割り振られている。先の三浦氏の「補足」と合わせて考えると、彼女において総動員体制とは、どうやら「国民」が実体的にまるごと戦争に参加することがその完成のメルクマールとなっているようだ。その勝手な基準から、銃後の学生や女性までもが根こそぎ動員された1943年以前・以後を、彼女は切断してみせているのではないか??
 戦時下の総動員体制と言えども一片の法律や訓令で完成するものではなく、それは長い形成過程を持っている。この過程の始点は、たとえば国内の帝国主義戦争に反対する運動の徹底的弾圧であったり、国家総動員法の制定であったり、戦時体制の構築を可能とするための大政翼賛会の成立であったりと、論者のアプローチによってかわってくる。
 とはいえ、総動員体制の「完成」以前=その形成過程を、きわめて肯定的に「経済的に比較的恵まれ、今よりも世界的な広い視野を持った人を生み出せる、ある種の豊かな国家だったと考えています」といい切ってしまうのは、もはやデマゴギーの域に達していると言えよう。


■「戦時」イメージの貧困
 しかし他方、彼女が指摘している「護憲派」・左派の側の「戦時」イメージの貧困についても言及しておく必要がある。
 三浦氏は「「戦前回帰」を心配する方々が思い描く「戦前」のイメージに不安を覚えます」(東京新聞前掲記事)、「そもそも戦前の通俗的イメージが悪すぎる」(2017年8月12日のtwitterでの補足)と言う。彼女が得意な〈左右を等しく批判しています〉ポーズなわけだが、そう言う彼女じしんの「戦前のイメージ」が悲惨なものであることはすでに見てきた。けれども「戦前回帰」と特徴づける側も、歴史的アナロジーの方法について検証する必要がありはしないだろうか。
 さらに「戦時中」イメージが、ややもすると20世紀の総力戦の期間に一面化されていることにも危惧を覚える。21世紀の日本に生きる私たちにとって、朝鮮戦争ベトナム戦争から今日まで、アメリカの主導する戦争に自国政府が協力してきた歴史を経験している。とりわけ湾岸戦争以降は、財政的のみならず、軍事的にも自衛隊の海外派兵が恒常化するなかで、わたしたちは事実上の〈戦時下〉を経験しているはずなのだから。

「悲しやな国に捧げん子孫なし」

有名な「産めよ殖やせよ」は、近衛内閣の閣議決定で策定された「人口政策確立要綱」(昭和16年)以降のスローガンだが、それ以前から、子どもをつくって御国の為に捧げるのが母の使命であるかに謳う思潮は広がっていた。
この時期の子沢山家庭への表彰行事や、例えば5人の子どもをすべて軍人に育て上げた「軍国の母」の事例は、これまでも拙著で紹介してきた。

では、子どもがいなかった家庭、とりわけ女性は、どんな思いでいたのだろうか。

大日本国防婦人会本部の機関誌『日本婦人』第51号(昭和13年4月)に、同会福井地方本部に届いたという投書が紹介されていた。当時国防婦人会は軍用飛行機献納運動を展開しており、その醵金に添えられていた手紙だという。

私は如何なる縁にしか御国の為に尽す一男どころか一女だにもなき石女にて、君国に対し不忠の極みと、誠に嘆かはしく、身も破り裂けん思ひにて日を暮らして居ります。同封涙ほどにて誠に御恥ずかしく存じます。けれど主人の斬髪〔散髪のこと〕を自分にさせて頂き、その代を月々貯へ又本年新年会を中止の代とであります。何卒飛行機のお手伝ひの一端なりともお加へ下されば、こよなく嬉しく存じ上げます。


悲しやな国に捧げん子孫なし せめて貯ふ涙心を

(山村国防婦人会分会の一員 石女)


「石女(うまずめ)」とはもはや死語だが、子どもができない女性への蔑称だ。ペンネームとはいえ自ら「石女」を名のる辛さはいかばかりかと思う。子どもがいないから夫の散髪代やつきあいも控えて、献納金をためていたわけだ。
現在においても「子どもはどうした」「孫の顔が見たい」プレッシャーは耐えがたいものがあるが、当時はさらに国家的要求という巨大な圧力も加わっていたわけで、これはすさまじいものであったのだろうと思う。